はじめに
2025年4月上旬に愛知県安城市にある安城城跡へ行ってきました。
実際に行ってみてどうだったかをまとめていきたいと思います。
場所
安城城跡はJR安城駅から車で10分ほどのところにあります。
読み方
安城城跡は安祥城址(あんしょうじょうし)、安城城跡(あんじょうじょうあと)ともいいます。
安祥城址公園

かつて安城城があった一帯は安祥城址公園として現在は整備されています。

公園内には安城市歴史博物館や公民館、埋蔵文化センターなどがあります。
安城市歴史博物館

館内には併設された喫茶店も。

ミュージアムショップもありました。
市民ギャラリーと埋蔵文化センター

博物館の横に隣接している市民ギャラリーと埋蔵文化センター。
めちゃくちゃ立派な建物。これだけの規模の文化財が保管されているということなんでしょうか。
公園

公園内は日本庭園を思わせるかのような造りになっており、きれいに手入れされていました。
大乗寺
安城博物館や埋蔵センターの反対には大乗寺と八幡社があり、大乗寺に安城城跡の石碑があるので行ってみました。大乗寺が建っている場所にかつての本丸があり、八幡社には二の丸があったとされているそうです。

大乗寺の楼門がみえます。

階段を登っていくと「安祥城址」の石碑がありました。
安城松平家四代

安城城はいつ建てられたのか、誰が建てたのかはわかっていないそうです。

江戸時代に書かれた「三河物語」には家康の祖先である松平信光が1476年に安城城を奪い取った
という記述があり、その後、息子の親忠が城主になる。(安城松平初代)
それから4代の清康(家康の祖父)へと引き継がれていく。
安城城の地理的意味
安城城は岡崎城から西へ約6㎞のところに位置し、織田方の那古野城あたりからだと南東へ約32㎞のあたりに位置します。
1540年になると織田信秀(織田信長の父)に安城城を攻め取られ、それから3度にわたり
織田信秀(織田信長の父)と松平広忠(徳川家康の父)は安城合戦で奪い合っています。
織田方にとって安城城は三河地方への前線基地として重要な役割を果たす場所でした。
安城合戦の終焉
1549年に織田方のものとなっていた安城城は今川軍2万によって落城してしまいました。
安城城を守っていた織田信広(織田信長の義兄)は今川軍に捕らえられ、
織田氏に捕らえられていた竹千代(徳川家康)との人質交換により安城合戦は終焉することとなる。
竹千代(徳川家康)は織田の次に今川の人質になり、駿府へ送られた。
その後の安城城

安城城は1560年の桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れると廃城になったとされていたが、
近年の研究によると徳川軍が1584年の小牧・長久手の戦いに備え安城城を改修したともいわれています。
まとめ
この記事では「安城城跡」へ実際に行ってみてどうだったかまとめてみました。
安城城跡では織田家と徳川家の関係性が見えてきたり、
歴史においても安城城は重要な位置にあったのだということがわかりました。
ぜひ「安城城跡」行ってみてください。
リンク
「安城城跡」の公式HPは→こちらへ